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第46話 ターニングポイント

某年某月某日
このところ、エランは好調を続けている。そろそろ生産されてから20年が経とうにしているので、20歳のお祝いにお化粧直しでもしてやろうと思っていた矢先、僕の人生のターニングポイントが訪れてしまった。それは、仕事の関係でアメリカに移り住むことになったのだ。
半年ほど前に、約10年間勤めた謀テーマパークを辞めた後、計画進行中だった別のテーマパークプロジェクトの仕事をしていたが、バブルの崩壊と共にそのプロジェクトが吹っ飛んでしまった。これでは失業してしまうので、いったいどうしようかと悩んでいたら、そのプロジェクトのコンセプト開発を依頼したアメリカのテーマパークデザイン会社の社長から、ロングビーチに来て一緒に仕事をしないかと誘われたのが事の次第だ。渡りに船とはこのことだが、太平洋はけっこう広くて渡るのに難儀するわけだ。
僕もワイフも以前、ロスアンジェルスで学生をしていたことがあり、南も北もまったく分からない土地ではないし、子供達もまだ小さいので、今ならまだおしりも軽い。また、テーマパーク関係の仕事をした経験で、アメリカと日本のエンターテイメントに対する考え方や価値観に根本的な違いがあり、年功序列に根ざした日本の社会環境が質の高いエンターテイメントを造りにくくしていることを体験してしまった以上、この誘いを断る理由が見つからない。そして、アメリカで仕事をするのは長年の夢だったし、自分の努力で少しでも良質なエンターテイメントを日本に提供できればと、青年は大志を抱いてしまったのだ。
しかし、いろいろ試算してみると、その計画を実行するには、自分でもそれなりの資金を用意が必要なことが判明して、「そのお金をどうするのよ?」とのワイフの問いに、反射的に「ロータスを売るよ!」と言葉が口から出てしまった。降って沸いたチャンスだが、それををつかむために、涙を飲んでエランを手放すことにした。
どんなに時間がかかっても、このエランを自分の理想のエランに近付けていくのが目標だった。しかし、もっと大きな夢を実現するためには必要な犠牲だと納得することにした。
一旦そう決めて気持ちを切り替えてしまうと、今までの思い込みはいったい何だったのだろうと、自分を冷めた目で見ることができるようになるから人間は不思議である。

この約10年間の所有期間にいろんなことがあった。娘が二人生まれた。彼女達がそれぞれ産院から自宅までの間、人生に記録すべき始めて乗った車は、このエランだったし、恥ずかしながら長女を「恵蘭」と名付けてしまったりもした。

誰とでも別れは寂しいものだが、相手がなにも意思表示してくれないのはもっと悲しいものだ。まるで意思があるのではないかと思うほど、僕を困らせ続けたにもかかわらず、書類に判を押してキーを渡してしまったら、なにも僕に反抗をできないのだ。嫌がらせの無言電話をすることもできないのである。アー何とかわいそうなエランであろう。

某年某月某日
エランは、友人が引き取ってくれることになり、引き渡しの約束をしていたが、その日は、朝から雨が降っていた。
長女を乗せて最後のドライブに出かけたが、ドロがはねて汚れたままお別れするのは忍びなく、そのまま帰ってきてしまった。

某年某月某日
今日こそエランを渡さなくてはならない。
空は気持ち良く晴れ渡っている。
ボディーを奇麗に磨いて、届けに行く。
キーを渡してしまったらとても空しかったが、その反面、魔法使いの呪いが解けたように、肩からスーっと力が抜けたような気がした。

この10年間、数えきれないほどの回数、落胆させられた。でも、それを打ち消せるほどの楽しいこと、気持ちよいことが、山ほどあった。何度も道端で修理をした。家まで押して帰ってきたこともあった。でも僕が誇りに思っているのは、一度たりとも牽引してもらったり、レッカー車のお世話にならずに済んだことだ。そして、事故を起こしてジャンクにしてしまうことなく、次のオーナーへバトンタッチができたことは何よりだった。
これには、20世紀の人類が生んだ重要文化財を伝承する責任を果たしたような感があった。ただ単に「よく壊れる車」の譲渡で済ませたくはなかった。

 

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